「茨城県沖」が不吉な兆し
週刊朝日2011年4月29日号配信
多くの人々の命を奪い、身も心も震え上がらせたマグニチュード(M)9・0の衝撃から
1カ月余り。あの日から続く大規模な地震は私たちの暮らしを脅かし、列島を揺らし
続けている。「いつかは来る」と懸念される首都圏直下型地震は、東海地震は、
ついにやってくるのだろうか。11年前、不気味な兆しを本誌は聞いていた。
それにしても3月11日に東日本大震災が襲ってから、日本列島を揺さぶる地震の
なんと多いことか。
4月11日、福島県浜通りを震源とするM7・1の大きな揺れが起きた。その後も
▽12日朝に千葉県北東部で震度5弱▽同日午後、福島県浜通りなどで震度6弱
▽13日、茨城県北東部で震度5弱など、衰える気配は一向にない。首都圏や
その他の地域を第二、第三の震災が襲う恐怖を感じている人も少なくないだろう。
本誌はとりわけ、ある地域で起きつつある不吉な「兆し」に着目した。ある地域とは
「茨城県沖」と「茨城県南部」のことだ。
というのも、かつて本誌の取材に対して、次のような説を唱えていた地震学の
権威がいたからである。「茨城県沖での大型地震は、首都圏直下大地震の
引き金となる可能性がある」
その人、東京大学名誉教授の溝上恵(みぞうえめぐみ)さんは、「地震防災対策
強化地域判定会」の会長を1996年から2008年まで務めるなど、地震予知の
研究に情熱を注ぎ、昨年1月に73歳でこの世を去った。
溝上さんは、茨城県沖地震と周辺地域の地震が連動することに注目して、
1980年代から論文を発表してきた。茨城県沖が関東直下の地震につながる
という仮説を大約すると、次のようになる。
(1)茨城県沖では約20年ごとにM7クラスの地震が起きている
(2)この地震は茨城県南部の地震と連動する
(3)前記の二つの地震がプレートに影響して南関東直下地震を誘発する
この「溝上説」を詳しく見ていく前に、まずは地球レベルで地震が起きる仕組み
をおさらいしておこう。
地球の表面は十数枚のプレートでおおわれていて、年に数センチのスピードで
動いている。プレートが沈み込むところには海溝やトラフと呼ばれる、長く深い
海底の谷ができる。
大きな地震はプレートの境目で起こることが多い。世界の観測史上、4番目に
大きいM9・0を記録した3月11日の地震は、北米プレートと太平洋プレートの
境界付近で起きたものだ。
日本列島は北米プレートとユーラシアプレートの上にのっていて、太平洋プレート
とフィリピン海プレートが、押しながらその下に潜り込んでいる。
とりわけ関東地方は「北米」「太平洋」「フィリピン海」という三つのプレートが
ぶつかり合う、世界でもまれな地域で、それが地震の多さにつながっている。
北米プレートの下にフィリピン海プレートが潜り込み、そこで引きずられたゆがみが
相模湾のプレート境界ではじけたのが、1923年9月1日に起きた関東大震災だ。
M7・9、南関東一円を震度6以上の激しい揺れが襲い、沿岸一帯は大津波に
見舞われ、14万人を超す犠牲者が出た。
その後、南関東地方は目立った大地震に襲われることはなく、おおむね静穏な
状態が続いてきた。海溝でプレートがはねあがる関東地震タイプの大地震は200年
から300年間隔で繰り返すとされているので、次に起きるまでにまだ相当の時間が
残されていそうだ。ではまだ安心かというと、そうではない。
これまで述べてきたプレート境界型とは別に、阪神・淡路大震災に代表される、
活断層の活動などで起きる直下型地震がありうるのだ。溝上さんは00年、本誌に
こう語っていた。
「関東大震災から77年がたって、そこで放出されたゆがみの3分の1が再び蓄え
られているとみられる。これは三浦半島の先端の沈み込みのデータなどからも
裏付けられます。次の関東大震災まで100年以上の時間があるとはいえ、ゆがみが
徐々に蓄えられてきたことから、南関東が再び地震の活動期に入る条件は整って
いるのです」
そのゆがみは、首都圏でM7前後の直下型地震を引き起こすのに、十分な量と
いう。溝上さんはこのように語っていた。
「直下型といっても、地表近くの活断層が動く地震から、それぞれのプレート境界で
起きるもの、プレートの内部で発生するものと、さまざまなタイプがあります。なか
でもフィリピン海プレートの沈み込みに伴って、その上面で起きる比較的大きな
直下型地震は、(海溝型の)関東地震に向けてゆがみの蓄積が進むと起きやすく
なることが知られています」
それでは、溝上さんが言う、茨城県沖と南関東の直下型地震はどのように
つながるのだろうか。
まず、溝上さんは、茨城県沖の大地震と茨城県南部の大地震とが、ほぼ20年の
サイクルで周期的に連動を繰り返す「法則性」に着目した。
茨城県沖の地震は太平洋プレートをおさえつけていた「つっかい棒」が部分的に
外れることを意味する。これで太平洋プレートの沈み込みが促進され、フィリピン海
プレートを刺激して茨城県南部の地震が起きる。
◆M6以上が7回、これが前触れか◆
さらに、この茨城県南部の地震の刺激を受けたフィリピン海プレート上面で、
たまっていたゆがみを解放する動きが引き起こされ、南関東直下の地震に
つながるというわけだ。
実際、関東大震災の前後でも、この三者のつながりがはっきりと表れた。
大震災が迫った1923年5月から6月にかけて、M7・3を最大規模として、M6
以上の地震が茨城県沖で6回も観測されている。同様に、21年から3年連続で
茨城県南西部でも大きな地震(M7・0、M6・1、M6・1)が起きた。
茨城県沖は、もともと「地震の巣」と呼ばれるほどの地震の多発地帯で、年に
1回はM6クラス前後の地震が、そして20年に1回程度はM7クラスの地震が
起きるとされる。
「しかし、1、2カ月の間にM6を超える地震が6回も立て続けに起こることは、
きわめて稀(まれ)といわねばならない」
溝上さんは著書のなかでそう指摘している。では、時計の針を現在に進めてみよう。
3・11の直後から気象庁が震源を「茨城県沖」としたM6超の地震を拾い出して
みた。11日から14日にかけてM6以上で震度4以上の地震はすでに7回あった。
すべて3・11の巨大地震の余震とみられるが、「きわめて稀」なことがわずか
4日の間に起きているのだ。
溝上さんによると、茨城県沖―茨城県南部―南関東直下という三者のシンクロは
近年にも見られた。11年前、こう語っている。
「三者がシンクロした第一波は1980年から92年までがピークでした。南関東で
被害をともなった八つのM6クラスの地震が起きたのですが、その前兆のように
やはり茨城県沖と茨城県南部で地震が連続して起きたのです」
92年のピークから、20年になろうとしている。幸いなことに、茨城県沖に比べると、
茨城県南部では3・11以後それほど目立った地震は起きていない。だがこれら
二つの地域で地震が連動する兆候が見えたとき、それはいよいよ直下型地震が
首都圏を襲うシグナルになるかもしれない。
と、原稿を書き終えようとしていた4月16日午前11時19分ごろ、東京の編集部で
やや強い揺れを感じた。テレビには「震度5強 茨城県南部」の文字が。これは
やはり不吉な兆しなのだろうか。
◆「大地動乱の時代」に備えよ 首都圏直下型を3・11が早める!?◆
国内観測史上最大となった「3・11」の巨大地震は、これまでの地震学の常識も
根底から揺さぶったようだ。京大防災研究所の遠田(とおだ)晋次准教授はこう話す。
「発生から1カ月がたってわかってきたことは、福島県の浜通りなど歴史的に地震の
少なかったところで大きな地震が発生している。これまでの常識でははかれない
ほど、陸地にかかる力が変わってしまったということです。この変化がどこに
どういう形で結びつくかは、はっきり言ってわからない」
また別の地震学者もこう吐露する。
「今回のM9の巨大地震は内陸で多くの地震を誘発していますが、その原因はひとつ
でなく、いろいろな要因が合わさったものと考えられます。その影響は今後何年も
続くと思われますが、現在の地震学の力量ではどこで何が起きるのか予測する
のは難しい」
それでも、私たちが過去の歴史に学ぶことは多い。「溝上説」とは別の角度から、
首都圏を襲う地震の可能性を考察してみよう。
1923年9月1日に起きた関東大震災は、まず神奈川県西部の地底で岩盤の
大破壊が始まり、ほぼ同時に東京でも揺れた。小田原とその周辺は大きな被害を
被った。つまり「小田原地震」と「関東地震」が同時に起こったのだ。
小田原では記録が残っている1633年の「寛永小田原地震」以降、およそ70年の
間隔で計5回、大きな地震に見舞われている。
このうち、1703年の元禄関東地震と、1923年に関東地震と一緒に起きた
地震は、ともに相模トラフで起きたプレート境界型で、ほかの3回は直下型だ。
また同じ小田原周辺でも、地震が起きる場所や規模にばらつきがある。このため、
専門家の中には「同列に論じるのはおかしい」といった意見もあるが、神戸大学
名誉教授の石橋克彦さんは、この小田原地震の規則性に着目して「マジック・
ナンバー70年」と名づけた。
石橋さんは76年に「東海地震説」を提起し、現在の地震予知研究態勢のきっかけ
をつくったひとりだ。また97年、震災と原発事故が同時に起きる今回のような
ケースを「原発震災」と名づけ、警鐘を鳴らしてきた。
94年に出版した『大地動乱の時代』(岩波新書)のなかで、石橋さんは小田原
地震が規則的に繰り返すだけでなく、小田原と関東、東海などの巨大地震との間に
見られる規則性に注目し、こう説いた。
「今世紀末から来世紀初めごろに小田原地震、東海地震、首都圏直下地震が
続発し、それ以後首都圏直下が大地震活動期に入る公算が強い」
17世紀以降に関東、東海地方で起きた主な大地震を示したものだ。ここからは、
関東地震は小田原と同時であることのほかに、東海地震は小田原から数年以内に
起こること、などが見てとれる。
◆一極集中の弊害、いま改めるとき◆
さらに「70年」をひとつの単位(T)と考えると、おおよそ東海地震は2T、関東地震
は3Tで、また首都圏直下型の地震については、Tまたは2Tごとに活動期と静穏期が
繰り返しているように見える。
石橋さんは、小田原地震の震源域に「西相模湾断裂」と呼ぶフィリピン海プレートの
切れ目があると推定、そこを「大地震の住みか」とみている。
「関東地方の下には、相模湾奥から房総沖まで南東に走る相模トラフから、フィリピン
海プレートがほぼ北向きに無理やり沈み込んでいます。相模湾の西側の伊豆半島は、
同じフィリピン海プレートにのっていますが、昔の海底火山が大きくなったものなので、
やや温かくて、軽くて沈み込むことができず、箱根山の北方で本州に衝突しています。
小田原付近の地下には、東側の沈み込むフィリピン海プレートと西側の沈み込め
ないフィリピン海プレートの境目に『西相模湾断裂』がほぼ南北に延びていると考え
られます。ここは普段は固着していますが、その付近の無理な変形が限界に達すると、
固着が激しく破壊して小田原地震を起こすのです」(石橋さん)
そして先ほど見たように、重要なのは、小田原地震は東海、関東の巨大地震と
連動する可能性がある点だ。
この三つの地震は、フィリピン海プレートを介して、互いに作用を及ぼしている。
地震によって小田原でゆがみが解放されると、プレートを引き留めていたブレーキが
ひとつ外れたようになり、東海、関東の巨大地震につながっていく、と推測される。
最後に小田原地震が起きた1923年からすでに88年たっており、統計上はいつ
起きてもおかしくないところに、「3・11」が起きた。石橋さんは、これによって小田原
地震がいよいよ起こりやすくなったばかりか、いまや「小田原」を待たずに首都圏
直下地震が起きる可能性も出てきたと指摘する。
というのも、関東地方の地下は、先ほども見たように、上から陸のプレート(北米)、
フィリピン海プレート、太平洋プレートという、複雑な三重構造をなしている。これら
三つのプレートは、普段は相互に固着しつつ動いているので、長年の間に接触面
付近で無理な変形がたまり、数十年から数百年に一度程度、接触面のあちこちで
固着が破壊する。
それが多くの場合、M7クラスの首都圏直下地震となって、さまざまな場所や深さで
起こる。石橋さんは言う。
「3・11の巨大地震は、岩手県から茨城県南部までの東方沖で、西に傾いて
下がっている、太平洋プレートと北米プレートの境界面の、非常に広い範囲の固着が
壊れて起きました。この巨大地震の影響は、広い範囲の力のバランスがどう変わった
かを計算して議論されることが多いのですが、プレートの運動の進展という見方も
大事です」
つまり、広大な領域の抵抗が外れたために、太平洋プレートは関東地方の下と
フィリピン海プレートの下へ、より動きやすくなったと考えられる、というのだ。
「首都圏直下地震を引き起こす地下のプレート接触面に沿う変形が、少し上乗せ
されるような動きが生じたと推定されます。したがって首都圏直下地震が起こり
やすくなったと言えます」
さらに、相模湾から関東地方の下に沈み込んでいるフィリピン海プレートを、太平洋
プレートが今までよりも余分に地下深くに引きずり込む動きも生じた可能性があると
指摘する。
「この動きは、西相模湾断裂に沿う変形を増大する要因になりますから、小田原地震
も起きやすくなったと考えられるのです」
『大地動乱の時代』のなかで石橋さんは、東京圏の大震災は全国を麻痺(まひ)させ、
さらに世界中をも混乱させるとして、東京一極集中の弊害と地方分権の必要性を
説いた。「動乱」を乗り切る知恵を、いまこそしぼるときだ。家庭でも、できること
から始めよう。 (本誌取材班=佐藤秀男、篠原大輔、大貫聡子、堀井正明)